第9回:キャッシュレスの先にある「世界観」
コラム<はじめに>
“MagicBand”には衝撃を受けた。はじめてその概要を知ったのは2014年だったろうか。米国フロリダにあるWalt Disney World (以下、WDW)で使える魔法のリストバンドである[1],[2]。これを身に着けているだけでWDW内の様々なサービスが使えるという。
MagicBandはWDWでのさまざまな体験を便利にしてくれる。電子タグが埋め込まれていて、腕につけているだけで、ホテルのチェックインも不要。パークへの入場、ファストパスやフォトサービスも使える。さらにはレストランやショッピングもキャッシュレスになる。
「電子タグを埋め込んだリストバンド」を使った斬新なサービス!
興味を惹かれたものは試してなんぼ。当時の上司に「現地で視察と調査をしてきたいのですが」と打診してみた。米国フロリダへの海外出張、WDWでの視察と調査、と言ってすんなり納得してもらえるわけもなく (爆笑)、予想通り「無理」と一蹴されたのだが。実は、その時に言われたことが今でも記憶に残っている。
「LaQua (東京ドーム併設のSPA施設[3]) のリストバンド」と同じ?
え、あれ? (汗)たしかに、サウナや温浴施設で使っている電子タグ入りのリストバンドも、施設内での現金利用を不要にする。技術的にも似ているのは事実だが、MagicBand はその2番煎じなのだろうか。いや、何か全然違う気がするのだが、はて、何がどう違うのだろうか (滝汗 ^^)。
これは、私が匿名経済から顕名経済へのシフトを考えるきっかけになったエピソードの一つである。技術視点だけでは本質はわからない。その先にある「世界観」まで理解することが変革の本質を捉える鍵である。今回は、MagicBandと、LaQuaなどのサウナや温浴施設で使われている電子タグ入りのリストバンドを参考に、匿名から顕名へのシフトについて考えてみたい。
<MagicBandの衝撃>
Walt Disney World (WDW) で使える”MagicBand”は、その名の通り「魔法のリストバンド」として、Disneyファンに愛されている。好きな色や、好きなDisneyキャラクターが描かれているものも選べる。魔法の正体は (つまり、技術的には) 電子タグである。MagicBandに埋め込まれたタグ情報を参照して、いろんなサービスを実現している。
MagicBandで使えるサービスは実に多彩である。しかも、パーク内外で使えるところも興味深い。米国在住であれば、事前に自宅に送ってもらって身につけていく。現地空港到着時にビーコンにチェックインし、自分が到着したことをDisneyに知らせることができる。ホテルではチェックイン不要で自分の部屋もMagicBandで解錠できる。パークへの入退場も可能。ファストパスにもなる。パーク内で写真を撮ってくれるフォトサービスでは、撮影後にMagicBandでタッチするだけで、後で自分宛に写真が送られてくる。ときには、事前登録した属性情報を参照したサプライズもあるという。
キャッシュレスでもMagicBandが活躍する。クレジットカード番号が登録できるので、レストランでもショッピングでも現金は不要である。普段の生活でキャッシュレスというと、ICカードやクレジットカードでの支払いをイメージしてしまいがちだが、WDWでは、パークへの入場も、アトラクションの利用も、レストランの支払いも、統一感を持った体験の一つとして感じることができる。MagicBandの熱烈なファンが、その体験を感動的に語るのもうなずける。
MagicBandの分析にあたって、強調しておきたい点が二つある。
- MagicBandは個人を特定する。また、関連する情報を参照して「利用者一人ひとりに特別な体験を提供」する。
- MagicBandは支払い行為も含めて統一感のある体験を提供する。エンターテイメントとして、個客の「体験価値」を重視している。
MagicBandのコンセプトを表現するサービス名称が “MyDisneyExperience” であることからも、個客一人ひとりの体験を何よりも重視していることが伺える。まさに、本連載で何度も繰り返し強調してきた「顕名取引」の考え方そのものである。
<LaQuaのリストバンド>
実は、LaQua (東京ドーム併設の温浴施設) に調査に行ったことがある。上司から言われた「MagicBandって、LaQuaのリストバンドと同じ?」という言葉に衝撃を受けて、実際何がどう違うのかを調べてみよう、と思って潜入調査 (?) をしてみようと思ったのがきっかけである。とはいえ、休日に自費で行ったので、のんびりしてきただけじゃないか、と言われるが (笑)
LaQuaのリストバンドは施設内のみで有効な「IDを識別するためのデバイス」だと考えるのが分かりやすい。施設入館時にリストバンドを受け取る。ロッカーの鍵にもなるし、施設内で飲み物を購入したときにキャッシュレス的な使いかたもできる。実際は、施設退館時に施設内で使った金額を精算して支払うので、施設内では、当該IDに関連する支払額を積算しているだけなのだが。
LaQuaなどのSPA施設のリストバンドでは「個人に関わる情報は参照していない」という点は注目すべきである。電子タグでIDを特定できることを利用し、ロッカーの鍵や施設内での支払いは可能だが、同技術が利用者に関わる情報を参照することはない。例えば、利用者がどんな種類のお風呂が好きで、どんな順番でサウナを利用するか、などを考慮したサービスは見たことがない。SPAのリストバンドはIDを特定することに用途を限っている。
こうしてみると、SPA施設のリストバンドの特徴は以下のようにまとめられる。
- SPAのリストバンドは個人を特定しない。あくまでも「IDに紐付いて」鍵や利用金額を積算するためのデバイスとして機能するだけであり、利用者一人ひとりを意識したサービスを提供することはない。
- SPAのリストバンドは、温浴施設で鍵や現金を持ち歩くことをせず、施設の利用や購入行為を簡単・効率的にすることを目的としている。
SPAのリストバンドは個人を特定しない。誰が使っても同様のサービスが受けられる、という意味では平等なのかもしれないが、「匿名取引」の考え方を踏襲しているのは明らかである。キャッシュレスとも言えるが、構造は匿名経済と大きくは変わらない。
<キャッシュレスの先に描く世界観>
技術的な視点だけでMagicBandとSPAなどの温浴施設のリストバンドの違いを本質的に理解するのは難しい。どちらも電子タグを埋め込んだリストバンドを使って、様々なサービスが利用でき、現金を不要にする。表面的にも、技術的にもとても似ているように見える。
キャッシュレス化の議論をするときには特に、その先にどのような世界観を描いているかが鍵を握る。MagicBandが “MyDisneyExperience” のコンセプトを掲げて「個客一人ひとりに特別な体験を提供」することを目的としているのに対し、SPAなどの温浴施設のリストバンドは、「鍵や現金を持ち歩かなくてもサービスを利用」するための、いわば、効率化のための仕組みを目指している。その違いは明らかである。
デジタル時代、つながりを前提として「個客一人ひとりに特別な体験を提供」する顕名市場と、旧来の「財やサービスを貨幣と交換」することを前提とする匿名市場では、目指す「世界観」、すなわちビジョン (Vision) がまったく異なる。顕名市場は個客価値を重視し、個客一人ひとりの体験価値向上を目指す。匿名市場は商品やサービスの良さを重視し、お金と交換するための仕組みに注力する。
前回の記事でも書いたとおり、キャッシュレスは「匿名経済から顕名経済へのシフト」が浸透する第一歩である。単に「紙幣が電子化された」という次元の話ではない。カードやモバイル決済が普及すれば良い、という話でもない。変革の本質は経済モデルの変革であり、つながりの市場を前提とする顕名取引が浸透するための仕組み作りだろう。
日本でも、顕名の特徴を活かした個客体験価値を重視するサービスが多数登場することに期待したい。
*1 https://en.wikipedia.org/wiki/MagicBands
*2 https://tabi-labo.com/292406/disney-magic-band
*3 https://www.laqua.jp/
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