〔変化をチャンスに 〜 変化を捉える視点と思考 〜〕
第59回:AI浸透後に広がる社会を妄想する(5)
コラム
<はじめに>
「ドラえもん」と「ドラミちゃん」
どっちが好き?
その理由は?
皆さん、ぜひ、真剣に(?)考えてみてほしい。この「問い」は、講演で聴講者の方に投げかけているものだ。これが、意外に意見が分かれて面白い。
ドラミちゃんの特徴が表われている言葉がある。のび太の「宝探しの道具はないだろうか」という相談に、ドラミちゃんは「そんな、ゆめみたいな話きらいなの。お金は自分ではたらいてもうけるものよ。」と答える。なんと真面目で教育的な回答だろうか。(ドラえもん 第5巻「地底の国探検」)
一方のドラえもんは、少し抜けてるところもあるが、いい言葉も多い。竹馬に乗れなくて泣きつくのび太に「人にできて きみにだけできないなんてこと あるもんか。」と鼓舞する。こんな人間味のある言葉が言えるのはスゴイ。(ドラえもん 第1巻「走れ!ウマタケ」)
さて、、、
AIにも個性や性格はあるのだろうか。今、生成AIが注目を集めている。生成AIがいろいろ教えてくれる・考えてくれる、と大騒ぎになっているが、近い将来、生成AIが教科書的で理想的な回答をしてくれる、と考えていないだろうか。
生成AIは急速に浸透している。遠くない将来、次のAI技術が出てくることも容易に想像できる。AIは身近なものになり、AIと会話することは当たり前になるだろう。だからこそ、AI浸透後の未来に向けて考えるべきことがあるのではないだろうか。
今回は、AIの個性や性格という視点から、我々が意識すべきことを考察してみたい。
<AIの知識>
今の生成AIの知識の源泉はどこにあるのだろうか。これは想像できる。生成AIの知識は、先人の知識(形式知)を数多く学習した結果であると考えるのが自然だろう。
ただし、注意すべきことがある。生成AIが学習するデータの多くはネットから参照できるものであり、中にはブログやSNSに登場する真偽の不確かなものが含まれていることもある。論評や随筆は個人の意見・考え方を語っているに過ぎない。学術論文も参照されるが、論文には、極めて限定的な条件で意図的な結果を生み出したものもあれば、同じ条件でも正反対の結果が発表されることもある(筆者は学術領域に長く関わっているので、そのあたりは痛いほど経験している、笑)。
今の生成AIは全知全能には程遠い。膨大な形式知を参照しているのは間違いないが、学習するデータによっては知識に偏りがうまれる。さらに、今の技術では、学習時に正誤・善悪を判断する価値基準を持ち得ない。今後の革新的な進歩を期待したいが、それを「知」の拠り所にできるのはずっと先のことだろう。
<AIの価値観・思想>
AIは価値観や思想を持つのだろうか。技術的には、AIは価値観・思想を持ちえない。ただし、学習する過程で調整することはできる。今の生成AIは、長い時間をかけて(何年もかけることも)出力する文章を調整する。生成AIに対して、事業者が価値観や思想(に相当するもの)を教育するとも言えそうだ。例えば、初期のChatGPTには、極めて中立的な立場をとることや、特定の宗教や思想に関わる説明を避ける、などが見受けられた。
留意すべきは、その価値観や思想が事業主体に依存することである。生成AIを提供する各社が安易な判断をしないことを期待するが、例えば、稼ぎやすい広告モデルなどが採用されることもありえる。そのとき、その生成内容が営利を目的とする内容であるかどうかを、我々はどう判断すればよいのだろう。
<AIと権力>
AIが時の権力の影響を受ける可能性もある。例えば、社会主義国で生まれたAIは、そのイデオロギーを背景に持つかもしれない。実際、とある国で生まれた生成AIが、その国の宗教・政治・思想の検閲を受ける可能性を指摘する声もある。
民主主義国でも検閲は大きな課題だろう。SNSや検索サービスを提供するビッグテックが米国内権力の意向を受けて検閲を行っていたことは有名(*1, *2, *3)である。SNSや検索よりも影響の大きい生成AIが検閲の対象とされ得ることは想像に容易い。
(*1) Aggregated Twitter Files: https://crowdsourced.news/s/hhOVU1qODyENIq7w5eC7/the-twitter-files
(*2) Facebook Files: https://reason.com/2023/01/19/facebook-files-emails-cdc-covid-vaccines-censorship/
(*3) GoogleLeaks: https://twitter.com/KanekoaTheGreat/status/1620195663580626945
<AIとの付き合い方>
AIが浸透した先、人とAIはもっと近づくことになる。身近にAIが存在し、さらに自然な会話が繰り広げられるのだろう。だからこそ、意識しておきたいことがある。
どうやら、AIにも個性や性格がありそうだ。人との付き合い同様、というと不思議な感じもするが(笑)、AIの個性や性格、さらには生まれや成り立ちも理解したうえでつきあっていくことが必要そうだ。
人を信じやすい人ほどAIとの付き合い方には注意が必要だろう。検索やSNSでは、ネット上の情報を見ている意識が残る。一方、AIとの会話はごく自然なものになる。あまりに自然な会話が成り立つからこそ、無条件にすべての言葉を受け入れるのは避けたい。当面、意図的に違和感を見つけるくらいの気持ちでAIと接することが必要なのかもしれない。
自分が、あるいは自分の子どもや孫がどんなAIと付き合っていくのか。
いつの時代も、友達を選ぶのは大事だということだろうか。
<おわりに>
本稿は第55〜58回の続編である。ここまで考えてきたことは
「今の生成AIで何ができるか」ではなく
「将来、AIがさらに進化・浸透したときに、社会がどう変わるか」である。
その前提にあるのは、何度も紹介している次の視点である。
- ”What” を変えず “How” の変化を考える「深化」
- ”Why” に立ち返って変化の先の “What” を考える「探索」
本連載では「探索」の視点で考察する。生成AIに大きな可能性を感じている方は多い。「今の生成AIをどう使うか(深化)」ではなく「その先に社会がどう変わるか(探索)」を考えることで、その可能性のイメージが広がるのではないだろうか。
今回の話題は教育の話にもつながる。次回は、歴史的な変革を参照しつつ、AI浸透後の未来に教育がどのように変わっていくかを考えてみたい。
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