Jライブラリー

〔変化をチャンスに 〜 変化を捉える視点と思考 〜〕
第57回:AI浸透後に広がる社会を妄想する(3)

中川郁夫 コラム

<はじめに>

情報技術で我々は楽になったのか。パソコンも、ネットも、モバイルも当たり前の時代。コミュニケーションは進化した。では、仕事は楽になったのか。どこにいても通知が飛んでくるようになった。食事中も、休憩中も、寝るときもスマホを横に置いている人は多そうだ。楽になるどころか、忙しくなったと感じている人も多いのではないだろうか。

 ※おまけに、最近は実質賃金も下がり続けているし…
 ※おっと、これは別の機会に考えることにしよう(笑)

革新的技術は社会を変える。マクロ視点では新しい価値が見出され、効率化が進み、生産性は向上する。技術が社会の発展に寄与した例は多い。

一方、社会変革が進むことと、人々が楽になることとは別の話だ。むしろ、そこで大儲けする人と、逆に忙しくなる人の「格差」は激しくなっているような気もする。

革新的技術はさまざまな「構造」を生み出す。昨今のAIの進化が革新的であることに疑いの余地はない。では、その先にはどのような「構造」が生まれるのだろう。

 ということで、

今回は“AI”が生み出す「構造」について考察する。歴史的な技術革新の例を振り返りつつ、”AI”が浸透した先にどのような「構造」が生まれるのかを妄想してみたい。

<資本主義の原型>

今回も蒸気機関の話から始めよう。前々回(第55回)、前回(第56回)と、蒸気機関がもたらした社会変革を捉える視点・思考について考察した。技術的な視点や、応用・利活用の視点だけではなく、それが社会をどう変えたかを考えること(社会的視点)が重要だと述べた。今回は、蒸気機関以降に生まれた「構造」について考えてみたい。

蒸気機関は産業革命をもたらした。機械化が浸透し、農業社会から工業社会にシフトした。最初は綿工業などの軽工業から、やがて重工業へ。工業化は、社会全体に新しい価値を生み出し、圧倒的な生産性の向上によって経済が大きく発展した。

資本主義の原型が生まれたのはこの時期だという説がある。革新的技術によって工場の機械化が進んだことで、生産設備を使って製品を作る「労働者」と、生産設備を所有する「資本家」という「構造」が生まれたとされる。

  <<新しい技術を使う人は「労働者」になった>>

大事なことなので再掲して強調してみた(笑)。新しい技術を使う人(労働者)と、それを仕組み化して儲けた人(資本家)がいた。ここに「構造」の妙がある。

「労働問題」や「格差」という言葉が生まれたのもこの時代とされる。ブラックなどという概念もない時代、老若男女かかわらず、あらゆる人が低賃金かつ過酷な環境で仕事をしたと言われている。いつの時代も労働者は辛い立場なのだろうか。

便利な技術を使うことが仕事を楽にするとは限らない。むしろ、技術を使うことで生産性があがる分、多くの仕事をさせられると考えるのは、資本家にとって当然だったのかもしれない。機械化が「資本家」と「労働者」という「構造」を創り出し、そこに極めて大きな「格差」が生まれたことは考察に値する。

<AIが生み出す構造とは>

生成AIは急激に成長している。機能が向上し、できることが増え、多数の競合生成AIが登場した。それでも、ChatGTPが注目集めるようになってからまだ2年程度。今後の革新的な進歩から目が離せない。

“AI”はどんな「構造」を生み出すのだろう。生成AIが、さらには、その先に登場する別種の“AI”が社会を大きく変えることは容易に想像できる。”AI”浸透後の社会を妄想することが本稿のテーマだが、今回は、”AI”浸透後に生まれる「構造」について考えてみたい。

思考のヒントとして「データ社会」の構造を考えてみたい。今はデータ社会だと言われる。ネット・モバイル・クラウド・etc. のつながりの浸透がさまざまなデータの取得・参照を可能にし、新たな価値を生み出す時代になった。Google、Facebook、Amazon、Microsoft、etc. のビッグテックを見れば明らかだろう。多くのサービスが「データ」を核として便利なサービスを展開している。

データ社会では「データ事業者」と「利用者」の「構造」がわかりやすい。「データ事業者」はさまざまなデータを保有し、あるいはデータをあずかり、それを活用して便利なサービスを提供してくれる。我々「利用者」は、サブスクリプション料を毎月支払いながら、さらには、そのサービスを享受するために自らのすべてのデータを渡す(データは事業者に集まる)。残念ながら、利用者側にはサービスや料金に関わる決定権はない(かつ、私のように全面的に某社のサービスに依存する生活をしていると、値上げも黙って従うしかない、笑)。

 ※なお、個人だけでなく、企業や国であっても「利用者」に位置づけられていることがさらに問題を複雑にしている。これについては機会をあらためて考えてみたい。

さて、“AI”浸透後の「構造」である。
以下は妄想の範囲を超えないが、考察のヒントとして紹介する。

“AI”がもたらす本質的な変化の一つは「知性の外部化」である。このことは、前回(第56回)でも触れた。今の生成AIは知性を真似ているだけとされるが、それでも、生成AI(や、その先の別種の“AI”)を介して、既存のあらゆる「知性」を誰でもネット経由で簡単に参照できるようになる。

では、知性の外部化がどのような「構造」を生み出すのか。“AI”浸透後は、多くの人が、外部知性を参照し、思考や判断を任せるようになる。そこでは、「外部知性を提供する事業者」と、その「利用者」の構造が生まれることは容易に想像できる。

言い方を変えてみよう。
 「知性を司る側」か「知性を使う側」か、さらには
 「考える側」か「その考えに従う側」か。

こう表現してみると、そこに大きな「格差」が生まれることは想像に容易い。蒸気機関登場後、資本主義の原型として生まれた「格差」に通じるものがありそうだ。

 ひとつ、メッセージを伝えておきたい。

革新的技術をどう捉えるか。便利な道具をどう使うか、と考えるのは自然な話だろう。一方で、その技術が社会変革をもたらすのであれば、その先にどんな「構造」が生まれるのかを考えてみることも必要ではないだろうか。

自分(自組織)が「知性を司る側」になるのか、「知性を使う側」になるのか。 今後の“AI”浸透後の社会を妄想するうえで重要な視点だろう。

<おわりに>

本稿は前々回(第55回)、前回(第56回)の続編である。ここまで考えてきたことは
 「今の生成AIで何ができるか」ではなく
 「将来、AIがさらに進化・浸透したときに、社会がどう変わるか」である。

その前提にあるのは、何度も紹介している次の視点である。
 ・”What”を変えず“How”の変化を考える「深化」
 ・”Why”に立ち返って変化の先の“What”を考える「探索」

本連載では「探索」の視点で考察する。生成AIに大きな可能性を感じている方は多い。「今の生成AIをどう使うか(深化)」ではなく「その先に社会がどう変わるか(探索)」を考えることで、その可能性のイメージが広がるのではないだろうか。

歴史上の社会変革の話は奥が深い。 次回は、また別の切り口で「AI浸透後に社会がどう変わるか」を考えてみたい。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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