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第41回:「データ戦略と信頼モデルの話(1)」

中川郁夫 コラム

<はじめに>

高校生の娘がいる家庭に「ゆりかごのクーポン」が届いた。父親は激怒。

 「うちの娘はまだ高校生だ。ゆりかごのクーポンを送るなんて、ふざけるな!」

後日、様子は一転する。店舗責任者が謝罪の意を伝えた際、父親は次の言葉を口にした。

 「私が知らないうちに、娘が妊娠していたようだ・・・」

これは実話である。2012年、舞台になったのは、米国小売大手のターゲット社(TARGET)の店舗。コトの顛末をNew York Timesが記事にした(無料閲覧期間終了)。これを受けて、Forbesが次のタイトルの記事を掲載した。

”How Target Figured Out A Teen Girl Was Pregnant Before Her Father Did”, Forbes, 2012
(『10代の少女が妊娠していることを父親より先に察知したターゲット社の手口』、翻訳 by DeepL)
https://www.forbes.com/sites/kashmirhill/2012/02/16/how-target-figured-out-a-teen-girl-was-pregnant-before-her-father-did/

ターゲット社は顧客(個客)の購買履歴から妊娠を察知していた。例えば、無香料ローション、マグネシウムサプリメント、大きめのバッグなど、妊娠した女性が(新たに)購入する商品には特徴があるのだという。クーポンはデータマーケティング活動の一環だった。

妊娠〜出産〜育児は大きな出費を伴う。ターゲットはデータ分析を応用したマーケティングによって、8年間で$23B(230億ドル、今のレートで3.2兆円)も売上を増やした、と言われる。妊娠初期推定も、その一環だった。

“Target Knows You’re Pregnant Before Anyone Else–And It’s Making Them Billions”, Better Marketing, 2021
https://bettermarketing.pub/target-knows-youre-pregnant-before-anyone-else-and-it-s-making-them-billions-7c4972a9bfab

「米ターゲット社の「妊娠予測スコア」が示すビッグデータの可能性と怖さ」, Dataway, 2019
https://www.dappsway.com/entry/target-pregnancy-prediction-score

この話、どのように感じるだろうか。データでそこまでわかるのか、と関心した人もいるだろう。一方で「気持ち悪い」という声も多い。あるいは「もっとうまくやれよ」と言う人もいるかもしれない。(嘘かホントか、後日談では、ゆりかごのクーポンと芝刈り機や洗剤などのクーポンを混ぜて送るようにした、との説もある、笑)

上記の話は興味深い視点を与えてくれる。確かにデータ分析の技術はスゴイのかもしれないが、それが顧客(個客)に受け入れられるには技術以外の要素も大きいのかもしれない。

今回から「データ戦略と信頼モデル」について考察する。顕名市場の普及・浸透に伴いデータ分析は極めて重要な役割を果たしている。一方で、顕名市場では、企業と個客の関係が何よりも重視されるのも事実である。技術的な話だけではなく、それが個客に、あるいは市場に受け入れられるために、どのように「信頼」を構築すべきか、を考えてみたい。

<顕名市場はデータが命>

顕名市場は「個客」の考え方を重視する。個客を把握するには「データ」は必須である。そのために「個客接点」をいかに増やすか、いかに「データ」を集めるか、を考える。モノを作って売るだけの時代は遠い昔の話。今は「誰が何にどんな価値を感じるのか」を「データ」で考えることは当たり前といってもよいだろう。

パン菓子の商品戦略の話を思い出す。ローソンの「ほろにがショコラブラン」は売上順位が低く利益貢献に至らないために販売中止が検討された。一方でポイントサービスのPontaは、購買履歴から同商品には熱烈なファンが存在することを見つけた。個客の立場に立ってみると、他店舗に類似商品がなく、当該商品があるからこそローソンに足を運んでいる、ということがわかった。結果的に同社は当該商品の販売を継続した。

https://paymentnavi.com/paymentnews/123291.html
https://president.jp/articles/-/10018

データは個客の購買行動を把握し、促すことを可能にする。上記の例は、特定個客 (顧客グループ) に対して、来店・購買を維持・向上 (さらにその後、シリーズ商品が開発された) させた例として興味深い。もちろん、そこで「データ」が活躍したことは言うまでもない。

<データ共有と信頼モデル>

顕名市場では「関係」が重要な意味を持つ。「交換」を主とする匿名市場では「対価を精算する」と考える。一方、「つながり」や「共創」を主とする顕名市場では、企業と個客の「関係を更新する」と考える。「関係」の構築・更新に「データ共有」は欠かせない。

企業と個客がデータを共有する上で「信頼」は大前提である。前回までの「知徳報恩」シリーズでも「信頼」の重要性については何度も触れた。サイバー文明では、信頼あるところにデータが集まることから「信頼」を「富」の源泉と説明することも紹介した。

では、顕名市場では「信頼」をどのように捉えるべきだろうか。匿名市場の延長で(交換の市場で売上増・利益増を目的として)データを活用するケースでは、残念ながら信頼構築がおざなりになっているケースが散見される。冒頭のターゲット社の事例にあった高校生と店舗(ターゲット)の間に信頼はあったのだろうか。前述のローソン社の事例で商品の熱烈なファンと企業(ローソン)の間に信頼はあったのだろうか。

<おわりに>

本連載は、顕名市場へのシフトによって何が起こるのか、の視点でさまざまな事例を紹介してきた。今回から数回のシリーズでは、顕名市場へのシフトにあたり、重要なテーマである「データ戦略と信頼モデル」について考えていく。

データ戦略は技術だけでは語れない。サイバー文明において、信頼あるところにデータが集まると考えることもそれを伺わせる。

顕名市場における信頼を考えるにあたって、まずは、利用者の「期待」の視点で考えてみるのが参考になりそうだ。信頼の構造に関する研究では「期待」は以下の2つに整理される。

 ・能力に対する期待(モノやサービスの質、あるいは技術的な視点での期待)
 ・意図に対する期待(相手が自己利益のために搾取的な行動をとらないことへの期待)

次回は、前者(= 能力に対する期待)に関する考察からスタートしてみたい。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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