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第21回:「製品の販売は顧客とのつながりの始まり」

中川郁夫 コラム

<はじめに>

シューズを履くと自動的に靴紐を調整してくれる。

バック・トゥー・ザ・フューチャー2 (Back To The Future Part 2) に登場したシューズは印象的だった。主人公のマーティが2015年にタイムスリップする。未来の街で彼がNIKEのロゴの入ったシューズを履くと、自動的に靴紐 (ベルト) が縮んで足にフィットする。1989年に公開された映画の中で、未来を感じさせるシーンの一つだった。

NIKEは”あのシューズ”を実現させた。”NIKE AIR MAG”と名付けられたシューズは、自動レーシングシステムと呼ばれる技術を搭載し、自動的にシューズの紐を締めてくれる。映画のシーンを再現させる”あのシューズ”が、映画の舞台だった2015年に発表された。販売は翌2016年。限定89足がオークションで出品、最高10万ドルを超える値が付いたらしい。

[ Nike Air Magの画像 ]

2019年、”あのシューズ”の技術を搭載している”NIKE ADAPT BB”が発売された。自動的に靴紐を締めてくれる、あの技術が手に届くところに来たことは感慨深い。

開発者の言葉がさらに興味をひく。スマートシューズと呼ばれる NIKE ADAPT BB は、NIKE ADAPTというプラットフォームを通して「進化するシューズ」なのだという。

[ NIKE ADAPT BBの画像 ]

進化するシューズは、本連載で繰り返し紹介している「一人ひとりに特別な体験を提供する」ことに通じる。製品の販売までが取引ではなく、そこが顧客とのつながりの始まりであると考えるNIKE ADAPTは、顕名取引の考え方に共通する。

NIKEは個客接点と個客体験を重視する戦略を選択した。製品を販売するだけでない。匿名市場から顕名市場へのシフトを前提に、個客一人ひとりと「つながる」ことを目指している。今回はNIKEの個客接点戦略について考えてみたい。

<NIKE ADAPT BB登場>

2019年、NIKEは”NIKE ADAPT BB”の販売を開始した。あの技術、すなわち自動レーシングシステムを搭載し、自動的に靴紐を調整してくれるバスケットボールシューズである。実は、自動的に靴紐を調整してくれる靴は事前にも販売していたのだが、今回のシューズはさらに注目すべき点がある。

NIKE ADAPT BBの特徴はスマホと連動することにある。靴紐はシューズのボタンでも操作できるが、アプリからも調整できる。ボタンの色を変えるなど、シューズのアップデートも可能。進化するシューズ、というコンセプトを背景に考えると、今後も様々な機能も追加されていくことは容易に想像できる。

機能面についても触れてみよう。スマホと連動するからには、通信機能や小さなコンピュータも搭載しているだろう。調べてみると、NIKEの公式サイトに関連情報が掲載されていた。主は”NIKE ADAPTシューレースエンジン”と呼ばれる。高性能CORTEX M4プロセッサーや、BLE (Bluetooth Low Energy) による通信機能、シューズを履いたことを検出するセンサーやワイヤを操作するモーターの他、動きや位置を把握するセンサーも搭載している。(予想以上の機能に驚いた、笑)

NIKE ADAPT BBがバスケットボールシューズを対象にしていることに挑戦の意欲が伺える。私もバスケットボールをやっていた時期がある (補欠だったが、笑) のでわかるが、ダッシュ、ストップ、ジャンプなど、足への衝撃は尋常ではない。上記の、動きや位置を把握するセンサーの使い方のひとつは、シューズへの衝撃をデータ化することであることは想像に容易い。

NIKEアプリ (後述) との親和性も高そうだ。動きや位置情報が取得できるのであれば、活動量測定や活動履歴なども簡単に記録できる。過去に”NIKE+”などで提供してきた機能や、さまざまなアプリケーションとの連携は容易だろう。

<NIKEのデジタル戦略>

NIKEはかなり早い時期からデジタル戦略に取り組んできた。当初、シューズ用の極小専用デバイスを提供していた。スマホの発売・普及後は、スマホのデータを参照することもあれば、シューズにデバイスが埋め込まれているケースもある (NIKE ADAPT BBなど)。

スマホアプリと連動するサービスも多数提供してきた。同社が長らく提供してきた NIKE+ のサービスから、近年では NRC (Nike Run Club) や NTC (Nike Training Club) などのスタート、さらには NIKE SNKRS (Nike スニーカーズ) や NIKE アプリなど、スマホ上のアプリが目白押しである。(あえて、独立アプリとして提供しているところも特徴的である)

以下では、同社のデジタル戦略の歴史を振り返りながら、その狙いを考察してみよう。

<NIKE+>

2006年、NIKE+がスタートした。AppleのiPodと連携する活動量測定デバイスおよびソフトウェアサービスと考えると良いだろうか。専用の小型センサーをシューズ内に埋め込み (内蔵ポケットのある専用シューズを用いる)、活動データをiPodに送って表示させる。活動の様子が簡単に記録・参照できることを喜ぶ人は多かった。(私は、毎日ウォーキングする人間なので、この嬉しさは共感できる)。

その後、技術の進歩にあわせてNIKE+も変化してきた。iPodにジャイロセンサーが搭載されると専用デバイスナシでも情報が取得可能になった。Sport bandと呼ばれるウェアラブルデバイスが登場した。スマホやApple Watchへも対応した。時代の流れにあわせて形態はさまざまに進化してきたと言える。

NIKE+の狙いは、個客一人ひとりとのつながりを作ることだった。活動量の把握や位置情報の把握が直接的にシューズ売上につながるわけではない。個客一人ひとりとの「つながり」を通して、特別な体験を提供することが、長期的な視点で考えて、ロイヤルティを高め、エンゲージメントに寄与することを理解していたからこそ、の取り組みだろう。

なお、NIKE+のスタートがスマホの登場前であることを考えると、NIKEにデジタル分野に彗眼を持つ人がいたことがわかる。重要なのは技術そのものではない。技術の進歩が、ビジネスに対してどんなインパクトを与えるか、を理解することである。センサーで情報が取得できることが大事なのではなく、その情報が「特別な体験を提供し、エンゲージメントに寄与する」ことを、スマホ登場前に経営者が理解していたことが驚異的である。

<NRC・NTC>

2019年、NRC (NIKE Run Club)及びNTC (NIKE Training Club)が登場した。NIKE+は2018年に終了したが、そのコンセプトはNRCおよびNTCに引きつがれた。ここでは、サービス (アプリ) 提供の視点が大きく変わったように見える。NIKE+はシューズを中心としてデータをどのように使えるか、を試行錯誤してきたように見える。一方、NRCはジョギングをする人向け (ジョギング、という顧客の行動が軸)、NTCはジムなどでトレーニングする人向け (トレーニング、という顧客の行動が軸) など、利用者視点を軸にサービスを提供する。

[ NRC・NTCアプリの画像 ]

引用元:https://play.google.com/store/apps/details?id=com.nike.plusgps&hl=en_US&fbclid=IwAR0J2A2sqL-UQA7dPBP_eBBowdvkvxcX0wLKrdZ7F0E4PaC4cDeX34rHyqI
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引用元:https://play.google.com/store/apps/details?id=com.nike.ntc&hl=en_US

つながりの時代のビジネスは顧客体験を中心に考える必要がある。モノづくり企業はモノを中心に考えるため、モノから取得できるデータがどのように使えるかと考える。NIKE+は (2006年スタートと考えると当然だが) シューズから収集されるデータが起点だった。一方、つながりの時代を前提に「今ならどう考えるか」と問われれば、当然ながら、顧客視点で、顧客体験 (個客体験) を起点にしたサービスやアプリを考える。2018-2019年に、それまで10年以上続けてきたモノづくり視点のNIKE+を終了し、顧客体験を起点とするNRCやNTCを新たにスタートさせたことは称賛に値する。

<NIKE SNKRS>

その後に登場したNIKE SNKRSは、個客の買い物体験にフォーカスしたアプリである。ユーザは最新の人気シューズにアクセスすることを目的としてアプリを起動する。お気に入りのシューズの発売に合わせて通知を受けたり、シューズの知られざるストーリーを読んだりもできる。特別な抽選などもあるらしい。前述NRCがジョギング、NTCがトレーニングを起点としているのに対して、SNKRSはD2C (Direct To Consumer)の考え方に基づいて、直接、個客向けの販売チャンネルを提供することを目指している。

<つながりの市場における戦略>

NIKEの戦略を「顕名市場」の視点から考えてみよう。従来の匿名市場 (= 交換の市場) は「財やサービスを貨幣と交換する」ことを取引と考えてきた。対して、顕名市場 (= つながりの市場)は「個客一人ひとりに特別な体験を提供する」ことを取引と考える。つながりの市場は、個客とのつながり、つまり個客接点のデジタル化を重視し、その接点を通して特別な体験を提供することが競争力につながる。NIKEがこれまで展開してきたデジタルの取り組みは極めて理にかなったものである。

NIKEのアプリ展開は個客エンゲージメントにつながっている。個客接点のデジタル化やその接点を通した体験の提供が、個客のロイヤルティ向上につながることは容易に想像できる。実際、NIKEのアプリ利用者は、NIKEが提供するECサイトのみならず、実店舗での購買・リピートが際立っているという。(それが、数値で把握できていることもすごいことだが)

モノづくりのビジネスは大きな転換期を迎えた。良いものを作って (匿名の) マス市場で販売 (モノとカネの交換) するのではなく、顕名の個客に特別な体験を提供することを通してエンゲージメントを獲得し、結果的に購買・リピートにつながることが「つながりの市場」の戦い方である。

<おわりに>

今回はNIKEの個客接点戦略を例に、顕名市場 (=つながりの市場) の戦い方について考察した。匿名市場から顕名市場へのシフトを背景に考えると、NIKEが、従来の販路やAmazonなどのオンラインモールの活用から、個客接点を創り出す方向に舵を切ったことは王道だと言える。(しかも、それを2006年からスタートさせていたことは驚異である)

匿名市場から顕名市場のシフトは、アナログからデジタルへのシフトとは異なる。実際、NIKEはアプリ提供だけではなく、アプリと連動する形でNIKEオリジナルの実店舗を活かす戦略でも注目すべきところは多い (今回は、割愛するが…)。OMO (Online Merges with Offline) と表現される通り、デジタルとアナログの境界を超えて、個客接点と個客体験を提供していくことが重要である。

モノづくりから体験の提供に − NIKEの取り組みは目が離せない。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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