第19回:「旅館のサービスに学ぶ」
コラム<はじめに>
地元富山に、たびたび使う宿がある。欧風のオーベルジュで雰囲気も良く、地元の食材を使ったフランス料理のフルコースが最高に美味しい。食べ仲間と一緒に毎年のようにお世話になっていた。(コロナ前までは、涙)
常連は贅沢を堪能できる。毎回、食事のアレンジが期待を超えてくる。もちろん、味の好みにあわせてくれるので仲間も私も大満足。懐事情も知っているので (笑) ワインもお任せ。行動パターンを理解してくれていて (笑)、夜のお酒も、朝食も、いい塩梅に楽しめる。
常連サービスは「顕名取引」の分かりやすい例である。お客様一人ひとりのことを深く理解し、最大限のおもてなしをする。「個客一人ひとりに特別な体験を提供する」ことは顕名取引の考え方そのものである。
考えてみると、昔ながらの旅館のサービスには「顕名取引」について学ぶことがたくさんある。近年のビジネスホテルは別として、古くから営業している歴史ある旅館の中には、常連へのサービスとして、個客への「特別な体験」を提供するものがたくさんある。
本連載のテーマ「顕名市場へのシフト」を考えるうえで、昔ながらの旅館業の話は、ぜひ紹介しておきたいテーマである。今回は、国内でもお客様一人ひとりに対して特別な体験を提供することを何よりも重視する旅館の事例を参照しながら、顕名取引を考える際の重要なヒントを考えてみたい。
<加賀屋に学ぶ>
おもてなしで有名な旅館のひとつに「加賀屋」がある。そのサービスはプロからも極めて高く評価される。旅行新聞社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で36年連続1位を記録、2017年に3位になったが、2018年から再び連続して1位に選ばれている。
加賀屋は1906年創業、115年の歴史を持つ。創業当時は12室の小さな宿だったようだが、今では、和倉温泉街に「加賀屋」「あえの風」「松乃碧」「虹と海」、金沢駅前に料理旅館「金沢茶屋」と5つの旅館を構える、国内トップクラスの旅館グループに成長した。
加賀屋が人気を集める「おもてなし」は「サービスサイエンス」で支えられていると評される。加賀屋は何よりも「おもてなし」を重視し、お客様に満足と感動を提供することを最優先する。そのために、客室係りが宿泊客の価値形成につながる接客に十分な時間を割けるよう、バックヤードの仕組みもサービスサイエンスに基づいて設計されているという。
<おもてなしの世界観>
加賀屋の「おもてなし」は想像を越える。ズラリと並んだ仲居さんのお出迎えやお見送りは有名である。仲居さんに部屋に案内されたあとの和菓子と抹茶、そのあとに九谷焼の器で飲む煎茶にも癒やされる。多くの旅館で見られる女将によるお部屋回りの挨拶は、加賀屋が始めたとされる。
「おもてなし」の源泉には「一人ひとりのお客様と真剣勝負をするつもりで、サービスにあたる」という心がけがあるという。歴史のある旅館だからこそ、昔ながらの本当のおもてなしの考え方を何より重視する。一人ひとり (= 個客) に特別なサービスを提供する、つまり、顕名の考え方をつきつめるとそこまでいくのか、と感銘する。ここに学ぶべきことは多い。
「一人ひとりのお客様との真剣勝負」という言葉は奥が深い。例えば、加賀屋には47都道府県出身の仲居さんがいることも有名で、宿泊者の出身地や訪問地に応じた仲居さんが対応することで安心感や親近感を与えることができる。外国の様々な国からお客様が見えられていいように国旗も用意している。過去に泊まったことがあるお客様は可能な限り同じ仲居さんが担当する。名前や家族構成、その時の話題も覚えていて話もはずむという。
ある著名な方の話を聞いて驚かされた。著書に自分が愛読している新聞 (2紙) を紹介したことがあるようなのだが、意図してか偶然かはわからないが、その情報が加賀屋に伝わっていて、朝、定番の地方紙に加えて、愛読の新聞 (2紙) も部屋に届けられていたそうだ。
「できません」とは言わない、ことも加賀屋が大切にしている価値観だという。あるお客様が「富山の酒を飲みたい」と言った際にはハイヤーを飛ばして隣県富山までお酒を買いにいったり、「卓球台はないのか」という問い合わせがあったときには、関連施設から卓球台を車で運んできたり。どうすればお客様の要望に応えられるか。迂闊な要望を言ってしまうと申し訳ないのではないか、と感じるほどである (笑)。
長年、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で1位に選ばれ続ける旅館にはちゃんと理由がある。泊まった人の評価・満足度は極めて高い。予想を超える「おもてなし」は、個客一人ひとりへの真心の表れであり、自分だけの特別な体験に感動すら覚えるという。
<デジタル技術の活用>
加賀屋は「顕名サービス」をより充実させるためにデジタル技術を使う。本連載では、デジタル技術によって匿名から顕名にシフトするという事例を多数紹介してきた。対して、加賀屋は、そもそも顕名を前提としている。さまざまな技術が活用できる時代に賀屋が取り組むのは、その「おもてなし」を高度化させることである。
加賀屋がデジタル技術を活用するのは仲居さんが「おもてなし」により多くの時間を割くためだという。多くの宿泊業において (あるいは、サービス業において)、効率化や人員削減を目的とするIT化・デジタル化が進められる中、加賀屋は、いかに宿泊客の価値形成を大事にしているか、が伺える。
タブレットや情報共有の仕組みはお客様の要望を取りこぼさないために導入された。客室係が宿泊客とのコミュニケーションを通じて宿泊客の要求を理解し、それを旅館全体 (180人を超える客室係とすべての部署) で情報共有することで、いつ、誰が、何を行えばよいのかが従業員の間で十分に理解される。
人員配置にもデジタル技術が活用されている。コンピューターを使ってピーク時やアイドル時に応じた人員の配置を管理するシステムも30年前に導入した。これも、仲居さんがゆとりをもって「おもてなし」のサービスをするために欠かせない仕組みである。
ロボット搬送システムは、仲居さんがお客様と接する時間を確保するために導入された。1981年に能登渚亭 (投資額30億円)、1989年に雪月花 (投資額120億円) を新築した際に導入された料理のロボット搬送システムによって仲居さんが料理を運ぶ時間が圧倒的に少なくなった。これを効率化や生産性向上と整理する資料も見かけるが、いうまでもなく、加賀屋が目指すものは「おもてなし」にかける時間を増やすことである。
技術にどんな意味を見出すか、は重要な視点である。多くのサービス業では (あるいは、多くのサービス業に技術を提案するベンダーやメーカーも) 技術の導入によって効率化やコスト削減を目指すことが多い。人員削減が可能、という言葉を聞くことも多い。一方、加賀屋は個客の価値を生み出すことに技術の意味を見出す。それが、いかに「おもてなし」の質をあげることにつながるか。「顕名」の考え方をとことん突き詰めていくと、加賀屋の考え方と共通するところは多そうである。
<加賀屋の事業展開>
加賀屋は海外にも事業展開を始めた。2010年、台湾 (台北市) 「日勝生加賀屋」をオープン。李登輝元総統が訪日時に加賀屋を気に入ったことをきっかけとして、加賀屋は台湾人の間で人気となった。台湾でも、純日本風の旅館である日勝生加賀屋は注目を集めた。
加賀屋は、他にも料亭を8店舗経営している。加賀屋の食事は宿泊者にも大人気で満足度も高いと聞く。その加賀屋が経営する料亭であれば味は間違いないだろう。しかも、加賀屋の最大の強みは「おもてなし」である。都内の料亭でも「おもてなし」をウリにしていることは想像に容易い。
デジタルの時代、加賀屋はそのサービスをさらに展開していくことだろう。加賀屋がそうであるように、歴史あるサービスでは顕名の仕組みは多く見られた。だが、昔ながらの顕名サービスは対面 (face-to-face) での提供が前提だった。一方、デジタル技術の発展と浸透が顕名サービスをスケールすることを可能にする。加賀屋は、既に顕名の仕組みを最大限に重視し、それを強みとする「おもてなし」のサービスを展開している。デジタルの時代、時間と空間を超えて、個客一人ひとりに特別な体験を提供されるようになることに期待したい。
<おわりに>
今回は歴史ある旅館の代表格である「加賀屋」のサービスを紹介した。「お客様一人ひとりとの真剣勝負」の気概を持って「おもてなし」を追求し続ける加賀屋のサービスは、顕名取引、顕名サービスを考える上で、ぜひとも知っておきたい・学んでおきたい事例である。
本連載では、デジタル技術の浸透による匿名から顕名のシフトに関する事例紹介と議論を繰り返してきた。その本質はデジタル技術を使うことではない。顕名取引・顕名サービスが「個客一人ひとりに特別な体験を提供する」ことを可能にし、それが「個客価値」を最大化することが何より重要である。
顕名サービスの真髄は日本の「おもてなし」の文化にも学べるのかもしれない。
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